公務員、早期退職(公務員 → 民間 → アーリーリタイア)

43歳で地方公務員を早期退職し、民間勤務1年を経てアーリリタイアし専業個人投資家に転身した瀬野航太のブログです。資産運用歴は兼業時代も含めて23年。投資手法は昔ながらのアセットアロケーションです。

6年ぶりに仕事用PCを更新(その5)

今まで仕事に使っていたデスクトップパソコン。ここ15年ほどデスクトップPCは自作機を使っていて、壊れる度にマザーボードなど部品単位で交換していました。ただ、そろそろそれも限界が来ていました。と言うことで年末年始にデスクトップPCの入れ替えをしたお話しです。前回までの経過は、こちらでご確認ください。

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調子が出てきて勢いが付いたので、夜も更けてきたのですがWindows11へのアップデートを行うことにしましたが。そして、アップデートの診断プログラムを走らせたのですがここで驚愕の表示が出ます。「このPCはWindows11の要件を満たしていません。」との表示。目が点になります。え?今頃、WIN11非対応のマザーボードが店頭で売ってるの? そんなはずはないと色々調べます。診断プログラムの表示にもヒントがあると考えて、その表示を元に片っ端から調べます。すると、分かったことがありました。Windows11を導入するに当たっては、起動ディスクが GPT形式である必要であるということです。そういえば、数年前にHDDの記録形式が変わったような話を聞いたことありました。さっそく、起動ドライブ設定を調べるとGPTではなく旧のMBR形式でした。これをGPTに変更しなければなりません。検索するとコマンドプロンプトでなにやら変換が出来るようなので何度か試したのですが、うまく行きません。これはクリーンインストールしてイチからOSを入れるしかないのか? でも、それをすると従前のPCの設定が全部消えてします。絶望感が襲います。しかし、その時、頭の中に何か閃きました。今回、従前のSSD→M.2接続のSSDにファイルを移すために使ったソフトにMBR → GPT というメニューがあったような記憶があるのです。思い過ごし?かもしれないけど念のため、そのソフトを開いてみるとなんと!そのメニューがありました。まさに天の助け。ここまでたどり着くまでに1時間ほどロスをしました。旧PCのSSDをキチンと認識させるには、「レガシーOPROM」を起動デバイス云々って、以前のブログで書きましたがその時にもっと深く調べておけばロスはなかったのですが相変わらずツメが甘い。




従前のSSDからM.2接続のSSDにファイルをコピーするところからやり直しです。その間に少し仮眠をして、転送が終わった時点で再度、Windows11のアップデートの診断プログラムを走らせます。無事、Windows11への移行条件を満たすことに成功しました。さすがにこの時点で深夜4時になり眠気を覚えたのですが、もう後戻りできません。完全に移行しないとPCが使えませんから眠い目を擦りながら作業を続けます。
ただ、この時点でHDDの中身をディスクの管理ツールで見ると、気付いたことがあります。今までのコピーの作業でゴミのように回復パーテーションのような物が残っているのです。古い回復パーテーションに新しく作成された回復パーテーションが出来ているんですね。色々、試すのですがどうしても消せません。実害はないのですがこれは気になります。せっかく、新PCに移行するわけですしこれはキレイにしたいです。こちらも検索して対応を調べると、先ほど出ていたコマンドプロンプトのコマンドでキレイに出来るようです。それにしてもコマンドプロンプトを使うなんて何年ぶりだろう。画面を見ながらおぼつかない入力でパーティションの削除を試みます。何度か失敗しましたがこちらは無事削除完了しました。失敗の原因はタイプミスです。徹夜作業はダメですね。

 
左:不要なパーティションの削除作業    右:Windows11が動作することの確認


色々なマイナートラブルの対応方法も分かった時点で、万全を期すため全ての作業をやり直します。その間に人間は仮眠をします。6年ぶりにPC更新、思ったよりも難易度が高いです。こまめに2年ぐらいで更新していった方が技術の進歩についていけるのかもしれませんね。あとは専門誌をしっかりと日頃から読んでおくというのも必要なのかも。全てのインストールが終わり動作が確認できた時点で、PCの組み立てを仮組みから本組みに直します。内部のケーブル周りをタイラップでしっかりと止めます。そして、ソフトウェアRAIDの設定を修正してようやく完成です。ディスプレイは3枚使いますが、接続ケーブルの手持ちの問題で、HDMI×2、DVI-D×1で今回は接続しましたが特に使い心地に違いは感じませんでした。

 ]
ロードバイクの横でPCを組み立てるという修羅場W
 
組み上がり、本稼働を開始


組み上がり後、WIN10→11になり動作が出来なくなったソフトがないか検証してみたのですが、私の環境では特に問題はありませんでした。半日ほど使って問題が無いことを確認できた時点で動画のライティングをしてみましたが撃早でしたし、設定によってはCPUを100%使わない場合もありました。従前のPCが瀕死になりながら、ラィティングしていたのがウソのようです。記憶媒体ベンチマークも取ってみました。M.2接続のSSDが劇的に早いですね。今回、記憶媒体

1.メインSSD M.2 1基
2.データー格納SSD SATA 1基
3.データーバックアップ SSD SATA 1基
4.超古い写真格納用HDD(3.5インチ) SATA 1基

ですので、順番にベンチマークを取ってみました。

メインSSD M.2接続
データー格納SSD SATA接続 
データーバックアップ SSD SATA接続
超古い写真格納用HDD SATA接続


ダントツにM.2接続のSSDが早いことが分かります。SATA接続のSSDは、品番が少し違う物が入っているので多少のバラツキはありますがまずまず早い。HDDは、SATA接続ですが遅いですね。ただ、安くデーターの長期保存には安心ですしこの4基をうまく使い分けてPCを使っていきたいと思います。雑感としては、深夜のPC組み立てをすると手戻りがとにかく多いので、今度は昼間にしようと強く心に誓いました。あとは、規格の進歩についていけない。歳かなぁ。

完成後、2日後には実戦投入開始しました。


(おしまい)

四国一周1000kmロードバイクの旅(day9 国土交通省 大洲河川国道事務所) 

 本記事は、2022年10月に挑戦した「四国一周1000kmロードバイクの旅」の記事です。記事のボリュームが膨大になることが予測されるため、下記にポータルページをご用意しました。初めての方は、下記のポータルページから読まれることを強く推奨いたします。


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宇和島市街地から北へ抜けて、国道56号を走るとトンネル連続区間がやってきます。しばらく走ると、なにやら道路脇にスチール製の箱が設置されてその中に反射タスキが収納されています。興味を持ったので近づいてみると、トンネル内の安全通行のために反射タスキの利用を呼びかける物でした。そして設置者は、天下の国土交通省。すごい! 道路管理者とはいえ安全対策のために国交省の大洲河川国道事務所は、ここまでやってくれるのか? 道路の安全対策と言えば、もっと大がかりな工事を想像することが多いですがこれは、少ない予算で確実に効果が出る生きた税金の使い方だと思いました。大洲河川国道事務所GJ! なお、表示看板によるとこのあと10個はトンネルが続くそうです。この反射タスキ、私はリュックを背負っているので着用は出来ませんでしたがお遍路さんなどは利用されるんでしょうね。以前のブログのトンネル工事、現場事務所のお遍路さん休憩所にしても四国の土建業関係者の方の創意工夫や対応は、素晴らしいと思います。私の地元の土建業も見習って欲しいですね。

こういう取り組み。感心しました。


気温も上がってきて、ドリンク休憩に自販機に立ち寄ります。国道56号は、山間部に作られているので道路の右側には斜面を利用したミカン畑、左側には海が広がっているのが見えます。山の緑と海の青色が目に染みる光景です。ジュースを飲みながら、景色を楽しみますが景色以外にも紫外線が身体に突き刺さります。半袖ジャージだと紫外線で疲労をため込みますので、暑くても長袖は欠かせないので今回の旅は、ずっと薄手のUVカットのコンプレッションインナーを着用していました。さて休憩を終えて、ボトルにもドリンクを入れようかと思ったときに事件は起きました。ボトルの口先がすっぽ抜けたのです。このボトル、もう4年ほど使ってますからね。寿命なんでしょうし、実は今回の旅の途中で内部がカビてきました。雨の日の気温も高かったですし、旅の前に漂白剤で中を洗っておくべきでした。いづれにしても今回、持ってきているボトルはこれ1本なので騙し騙し使いつづけるしかありません。

 
国道の右側にはミカン畑、左側には海が広がっている。
なんとか、この旅の終わりまで持ちこたえてくれ。


再出発したところでこのあたりから登り坂が続きます。さすがにここまで8日間も走ってきたわけですし、登り坂もメンタル的には堪えなくなりました。「坂を登れば下りがやってくる。」それを理解したら、先にやってくる下りを楽しみに登るだけの心構えが出来てきます。坂を登り切ったあたりで、西予市に入りました。ここで一旦、ルートからそれて道の駅どんぶり館を目指します。少し遅い昼食を取るためです。時間は15時過ぎ、だいぶ遅い昼食になりますが今日の目的地の八幡浜市まではあと20kmありますから、昼食抜きというわけにはいきません。この道の駅どんぶり館ですが、四国西予ジオパークの岩石の展示がされていました。四国をぐるっとまわって気づいたのですが、海岸の岩石が少しづつ変化していくのですよね。特に高知あたりからが顕著でした。私は岩石の専門家では無いですが、この変化はみていても面白かったです。ということでしばし展示を見ていました。

西予市に入るまでに登り坂があった。
 
岩石の展示は、実際に手に取ってみることができる。


展示を見た後は、食事です。宇和島で食べることが出来なかった海鮮をここでたっぷり楽しむ事にします。道の駅の名前がどんぶり館ですからね、丼物への期待は自ずと膨らみます。メニューをみて選んだのは海鮮丼。私自身は海育ちなので、海鮮丼にはうるさい人間ですがこちらの海鮮丼、文句なしにうまかったです。海鮮丼には薬味が大切な役割を果たしますが、そちらもしっかり役割を果たしてました。ほんの数分間で完食(大爆笑)。お支払いの時に、レジのお姉さんから声をかけられてしばらくお話をしましたが、四国を回って感じるのは愛媛の女性は、明るくて気さくな人が多いです。男性は、少し無口な感じですがニコニコしている人が多い気もしますね。県民性と一括りにしたくはないですが、日本全国を旅して21世紀版人国記*1などを執筆したくなりました。ただ、人国記はけっこう苛烈なことが書かれているので執筆するなら、褒めるだけの人国記を書きたいですね。


  





(day9 下りの難所)



*1:『人国記』日本各地の国(令制国)ごとに、その地域の人々の風俗、特に武士の気風について述べた書物。鎌倉幕府の5代執権の北条時頼が著者という説がある。

しまなみ街道を走ってきました(その17)

 四国一周サイクリングの完走証と共に同封されていたのが、四国一周サイクリングオリジナルヘッドスペーサー引き換えカード。これは四国一周を成し遂げたあと、しまなみ街道を訪れると貰えるという物です。それをゲットするために10月にしまなみ街道を走りました。



今までの書き込みは、こちらのポータルページからどうぞ。
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航空無線を聞きながら、航空鉄分wを補充しているとネコちゃんが近くに寄ってきました。ネコ成分もこの公園は補給できるのか? でも、逃げちゃいました。残念。30分ほど滞在したところで、帰路につくことにしました。時間があって天気が良ければもっとゆっくり航空機を見るというのもありですね。Googleマップを立ち上げて骨伝導ワイヤレスヘッドホンでナビ誘導を聞きながら、滋賀県高島市を目指します。ただ、誘導が混雑を避けるためか主要道路ではない路地を示すので、混んでいる道を迂回するイメージで左折、右折が多く田舎に比べれば交通量も多いし、信号待ちはたくさんでとにかく疲労がたまる一方でした。それにしても都会ですね。田舎育ちの私には刺激の多すぎる町です。


 


しばらく走ると、箕面市に入ります。このぐらいまで走ると少し交通量は、落ち着いてきますし緑も目立ち始めます。スマホのGPSもようやくそれなりに受信できるようになったようでミスコースも減ってきました。サイジャーの後ろポケットにスマホを入れてリュックを背負っている関係で、通常よりも受信感度が悪いのかもしれないですね。このあたりから交通状況を見て、歩道から車道を走ることが増えましたが何度かヒヤリとすることもありました。関西は運転マナーが悪いってよく言われますが、こういうことなのか?とも思いましたが、そもそも交通量が多いので一概に判断できないと想いをお腹の中に落としましたがあまり良い気分ではなかったですね。しばらく走っていると、なにやら見覚えのある景色が広がります。大阪ってあまり来たことが無いんだけどなぜ?と考えながら景色を見回すと、万博記念公園の外周でした。つい先日、サイクルモード大阪で車で走ったばかりでしたね。ここまで来れば、都会の道路事情から少し改善するのでなんとかなりそうですが、疲労感をこのあたりで覚えたので少し路地裏へ入ることにしました。あわよくば、このあたりで補給もしたいぐらいです。歩道の広いところでロードバイクをガードレールにあずけて、補給食を食べます。スマホで現在地を確認すると茨木市に入っていました。この時点で49kmを走行していますが、思いのほかペースが上がりません。人口密集地を走るとどうしても、こうなりますね。このペースでは、滋賀県高島市にたどり着く頃にはとっぷり日が暮れてしまいます。京都駅に目的地を変えてそこから輪行する作戦に変更します。


少し休んで走行再開、しばらく走ったあたりで車が渋滞し始めます。車の横をすり抜けるのは、恐いですが徐行しつつ場合によっては押し歩きして前へ進むと赤色灯などが見えてきます。交通事故のようです。場所は、茨木市福祉文化会館の前でどういうわけか、道路に直角(横断する形)に車が走り福祉文化会館の敷地に突っ込んでいます。エアバックも開いていますが、運転者は搬送された後のようで消防と警察が後処理を相談していました。確率的には低いでしょうがあと少し数十分早かったら私は、この車に潰されていたかもしれなかったです。状況的に駐車場が近くにあるのでそこから、アクセルとブレーキを間違うような感じでまっすぐ突っ込んだのかもしれませんね。

 
歩道に歩行者などがいたら大惨事でした。

事故に唖然としていると、消防の方が事故処理するので皆さん、退いてくださいとのことでしたので私も立ち去ることにしました。そして、しばらく走るとなにやら見覚えのある雰囲気の街並みに入ります。高槻市に入ったようで右の方に新幹線の線路が見えてきました。新幹線の車窓の記憶が見覚えのある雰囲気を気付かせていたのですね。たしか、このあたりにサントリーの山崎ウイスキー館があったはずです。この施設、過去に一度見学したことがありますが、お酒を飲まない方でも充分に楽しめる内容でした。また行きたいですね。そして、帰宅後知ったのですが、ここから少し進んだあたりに、明智光秀羽柴秀吉が戦った山崎の戦いの古戦場跡があったようです。立ち寄れば良かったですが、実はこの頃には疲労がピークを迎えていました。ハンガーノックの兆候も出てましたので、ここでガッツリ休むことにしました。どこか休めるところと探していたら、ホームセンターコーナンを見つけました。自販機もありますしトイレの看板も見えたのでさっそくピットインです。

 
京都駅まであと少しですが、力尽きて休憩。


トイレ休憩と自販機で飲み物を2本買って、胃袋に入れます。ハンガーノックの気配がある時はコーラ系が直ぐにエネルギーになるような気がします。少し回復したあたりで、京都駅に向かって走ります。このあたりまでくると、だいぶ道路状況も改善して走りやすくなります。あと残り距離も20km程度。上洛まであと一踏ん張りですw 時間は14時頃でしたのでこの調子だと、帰宅ラッシュの頃に京都駅に到着の可能性が出てました。輪行の事を考えるとあまり良い時間帯ではないのですが、湖西線は京都駅が出発の駅であり近江今津に着くまでの途中の駅で、半分ぐらいの方は下車するので問題はなさそうです。ただ、通常輪行するときは、この時間帯は気になる要素です。




(その18へ続く)



このブログについて、概略と追加記載202403

いつも本ブログを読んでいただきありがとうございます。

ブログを開設してから、定期的に自己紹介と本ブログの紹介をしています。常連さんには、退屈でしょうがおつきあいください。追加記載事項は、赤色で記載しています。


1975年生まれ、地元の工業高校を卒業後、短期大学へ進学、自動車整備士の資格を取得するが、整備士にならずに公務員試験を受験するが不合格。その後三度目の正直で出身地の市役所にて、地方公務員(技術吏員)に合格。そして、奉職期間中に通信制大学で教養学の学士号を取得。


その後、上水道の技師、道路部門の担当(道路法に係る手続きと道路認定、陳情要望活動、道路用地の登記、立会、除雪計画の策定と実施)を経て、県庁の本庁へ派遣。しかし、業務に忙殺されることに加え今までは上位の機関であった人達に対して、指示を出す立場になり心を鬼に出来ずに上司と出先機関との板挟みでメンタル不調となり、そこから5ヶ月の休職を経て復職(上水道の技師)。復職後は、メンタル不調をやり過ごしながら7年近く過ごしていたが、増える仕事量と取れない有休、サービス残業、そして異常なクレームと陰湿な朝日新聞記者の取材に会い、メンタルも限界寸前になり43歳で退職を決意。引き継ぎの問題もあり、4月中旬で21年勤めた地元の市役所を退職しました。その為私にとっては、朝日新聞は宿敵であります。それに元より反日思想にあふれる新聞は、我が日本には不要です。(どこの新聞社?というご質問がありましたので今回、会社名を公表しました。)先日、その記者の転勤先を突き止めたのでご挨拶のメールを送りましたが、さすがに返信はなし。しかし、協力者のお陰で所在はつかんでいるので、一度ゆっくり肩書きを超えて語り合いたいと思えます。恩讐の彼方に何かが見えるかもしれません。お心当たりの記者さんご連絡待ってます。





退職後は、20年近く続けていた株やFXの投資を専業にして過ごしていました。しかし、市役所の道路部局にいたとき、相続に苦慮するご家族を多数見てきた経験からふと、「先祖伝来の土地の相続に問題があるので?」と感じ、調査を開始。税理士の力も借りて調査した結果、不動産が大部分の財産構成であり相続税が支払えない状況が判明。その問題解決に取り組むことになりました。問題解決の経緯については本ブログでも記載していますので、参考になれば幸いです。


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そして、退職して3ヶ月を経た頃に再就職したくなり、再就職活動を開始。そして、某総合商社の子会社の総合レンタル業の会社に整備職として再就職しました。仕事自体は楽しかったのですが、早く一人前になれ!という上司からのプレッシャーに加え、仕事に対する考え方が私の想いと会社の間には解離があることが次第に判明しました。

・最低限のことはマニュアルのようなモノがあるのが当然と考えていましたが、それがなかった。
・品質管理という観点からも最低限のマニュアルが必要であると訴えたが、必要はないと返された。
・熟練者から若手への技術の伝達手段について、仕組みが作られていなかった。必要性を話したが理解してくれなかった。背を見て覚えろ!
・育成担当の上長は、直後に私のいる営業所と別の営業所の兼務となり、指導が出来る環境ではなくなった。
・変な緊張感が営業所の中に常時漂っていた。管理者の上司の支店長などの上司に対する発言がヒドすぎた(陰口をたたく、尊敬を感じないなど。)私は陰口をたたくヤツは嫌い。

それに加えて事務所の所長との相性が最悪だったと言うのが、ずっと引っかかってました。語る内容が本心でないことは確実に透けて見えていました。悪い人でないのでしょうが、生理的に合わないんだと思います。

当然、私の考えが全て正しいとは考えていませんが、これだけ双方に乖離があると家庭で言うところの離婚を考えざる終えませんでした。そして「この会社にいて、私は今後芽が出るのか?」という葛藤もありました。数ヶ月も勤めると40代という年齢、自分の実力が分かり最終役職が見えてくるんですよね。肝心の仕事は、気を利かして対応したことが全て裏目に出るというまさに空回りが続き、上司との折り合いも悪く約1年で退職しました。40代での公務員からの転職は非常に困難と感じました。もし、これをお読みの方が公務員から民間へ転職される場合は35歳までが現実的だと考えています。ただ、むやみやたらに私は退職はしませんでした。個人投資家として20年強の経験もあり、安定した運用益を出せていたことも退職を後押ししました。


ここで公務員の民間への転職について、一言申し述べたいと思います。
公務員の転職について煽る方も多いですが闇雲にオススメはしません。ツィッターやネットなどで出てくる方は、元より能力値の高い方です。能力が高いか低いかは、ご自分が一番知っているはずです。さらに人間は、成功体験は積極的に話しますが、失敗体験は話したがらないです。つまり、表に出ていない転職失敗が世の中には多数あるのです。それを踏まえて、転職は慎重にお考えいただきたいと思います。さらに最近、会計年度任用職員を数年勤めただけで公務を知った気になって、ブログを書いたり動画を上げたりする人も見受けられます。公務員ってそんな浅い仕事じゃありません。真剣に取り組めば奥が深く、魅力的な仕事です。なのでそういうPV数を上げるために煽るような人達の言葉には、惑わされないでください。あなたの人生です。選択を間違っても彼らは責任は取ってくれません。


参考までに官民の企業文化の違いについて、まとめてみました。以前、twitterに上げたら過去最高のPVを記録したモノに加筆をしたモノです。





そんな私ですが民間で仕事をしている1年の間に相続問題も解決の目処が立ち、問題解決のために進めてきた土地の売却代金を投資に段階的に追加投入することも可能になりました。3月8日現在、全資金力は1億4千万円となり、うち運用に用いる資金額は10,022万円となっています。運用は年度末締めとしてますが2022年度は低迷を続けており、マイナスを覚悟しましたが最終的に+1.84%の利益を確保しました。そして、2023年度は現時点で年13.57%に到達。過去17年間の平均年リターンは6.71%


投資手法は、20年かけて自分なりにアレンジした、タクティカルアセットアロケーション、バリュー投資が主ですが2023年から個別日本株からの段階的撤退を行っています。これは、過去数年間の運用成績を見た場合、個別日本株が足を引っ張っていることが明らかだったからです。悔しいですが、個別日本株の運用能力は現時点では私には無いようです。FX投資は、新規の建て玉はここ1年近く建てていませんでしたが、スワップ金利も取れるようになりましたし全体のポートフォリオを見ればリスクコントロールも容易になったことから、最近ドル円の買いのみですが建て始めています。ポンド円の買いは含み損がたっぷりありましたが、ここ1年でほぼ解消されました。昨年より相続問題も解決に向かったことと、手元資金が潤沢になったことから現在、目標運用利回りを年2%に下げてリスクを落とす方向に方針転換を行いました。


投資についての新しい試みも始めました。先ほど、個別日本株での運用成績が振るわないという話をしました。私は、ファンダメンタルズで銘柄を絞りテクニカルで売り買いをしているのですが、ほぼテクニカルで失敗しているようなのです。そこでそこを補完する意味でテクニカルアナリスト資格の勉強を始めました。覚える量や理解が追いつかず不合格を覚悟しましたが無事、合格しました。さらに売り買いの作業の簡略化を図るために、楽天証券のMarketSPEED2を利用した自動売買のマクロの開発を行い12月末から部分稼働しています。こちらもいづれはご紹介できると思います。

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民間企業を辞めた後の生活ですが、両親が高齢でありそろそろ、介護保険のお世話になりそうです。そちらもブログネタでまたご紹介することになると思います。その両親の世話と並行して私自身の余暇は、ロードバイクの練習や趣味の時間に充てています。正直言うと、刺激が少なく物足りないのも事実ですがこの歳で再就職は、なかなか厳しく妥協と自分の希望をすりあわせた結果の生活と言えます。ただ、最近はロードバイクにドップリハマってしまいレースに出たり先日は、四国一周1000kmロードバイクの旅をしたりとまるで仕事のようになっています。そんな調子に乗っていた頃、鈴鹿サーキットでのロードバイクのレースで大落車を経験しました。幸い入院には至りませんでしたが、本当に痛かったです。しかし、懲りずに2023年シーズンもレースは続けています。


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2023年シーズンの活動のご紹介

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2024年は、レースの参戦回数と全国各地へのサイクリングを増やしていきたいと思っています。そんな元・公務員48歳の生活を書いているのが本ブログです。


今後は、資産運用、趣味のロードバイクを中心に書いていく予定です。特に資産運用に関しては原則的に3カ月おきにアセットアロケーション比率を開示します。



私の投資に関する書き込みはこちらにまとめてあります。
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美山ロードにて、ゴールライン直前の筆者。