瀬野航太のF.I.R.E.生活(ロードバイク、資産運用)

地方公務員21年勤務、民間勤務1年を経験。23年間の資産運用の結果44歳でF.I.R.E.達成。現在49歳の専業個人投資家(テクニカルアナリストCMTA)をしつつ自転車ロードレース、自転車旅を楽しんでいます。

月山富田城跡を訪ねて その1

 おかやまエンデューロをDNFし、翌日は観光を楽しむ事にしまずは、安来市でドジョウ料理に舌鼓を打ちましたがホテルのチェックインまでに2時間ほど余裕が出来ました。この2時間という時間、少し離れた観光スポットに行くには足りない時間、かと言って何も出来ない時間でもないという中途半端な時間です。道の駅のパンフレットを見るなどして、この時間の過ごし方を模索すると和鋼の資料館や他には近くに月山富田城があることが分かりました。月山富田城とは、戦国時代、謀聖と呼ばれた尼子経久の居城で有名です。以前、大河ドラマ毛利元就緒形拳さんが演じていたのはとても印象に残っています。時間的にも充分なのでそちらを訪問することにしました。



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車を走らすこと30分ほどで月山富田城跡に到着です。車を運転しながら、車窓にその景色が見えたときは過去にいくつかの資料やイラストで見た月山富田城の景色そのもので、思わず「おおお!」と声を上げました。近くには案内板などもあり、どうやら近くに尼子経久銅像があるようなのでそちらへ先ずは向かいます。ずばり、記念撮影です。駐車場が工事中でしたので少し離れたところに駐車し、徒歩で向かいましたがこれが意外と良くて月山富田城のあった月山(標高190m)をゆっくり眺めて思量にふける時間を過ごすことになりました。


幟が立っていて良い感じになってる。
詳しい案内板。月山には平地が多いことがよく分かる。(台計上の山?)

しばらく歩いて尼子経久銅像を見つけます。銅像は馬上の尼子経久がモチーフになっているみたいで空を指しています。もし、生まれている時期が違ったら。。跡継ぎに謀略の素質が受け継がれていたら? ひょっとすると尼子氏が天下統一をしていたかもしれません。この銅像の近くにはパネルが多数展示されていて、過去の月山富田城を巡る攻防(陣が置かれた場所)が解説されています。これを見ると、けっこうな距離を開けてにらみ合いがあったことが分かります。ドラマだとすぐに斬り合い、ド付き合いが始まったように見えますが徒歩や馬での移動と考えると意外と距離感のある戦であったし馬の機動性は優位だったという事が分かります。ドローンも携帯電話もない時代、高いところに本陣を設営し全体を見渡し情勢把握に努めていたことも感じました。他に月山富田城の前の河川、今はしっかりした橋梁が架けられていますが当時はどうだったのか?と考えると、この河川の両岸でのにらみ合いなど胸熱です。




 



 



 



ここまでは遠目に月山富田城跡を眺めていましたが、いよいよ登城することにします。その前に憧れの尼子経久公とツーショットを撮影しますw 最上義光尼子経久毛利元就、さんは私の憧れです。車で河川(飯梨川)を渡ります。この飯梨川は、一級河川斐伊川出雲市)の水系のようです。斐伊川は、過去に私が福井→出雲ロードバイク旅の旅の時にヤマタノオロチ伝説ってこの河川から広がったのか?って思いを巡らした河川ですが、それにつながっていると考えると、もっと出雲地方について調べてみたいな。という気持ちになりました。今の仕事をしている関係で最低でも年に1回は、出雲大社には参拝しますから次の機会にはもっと色々と巡ってみたいですね。




斐伊川を見たときの福井→出雲ロードバイク旅はこちら↓
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尼子経久公とツーショットで涙を流す私。   月山富田城は、飯梨川を挟んで向かい側。

数分で月山富田城跡の駐車場へ到着です。駐車場からすぐで月山富田城跡の敷地内です。ただ、本丸跡まで行くとなると山道を1,800mとなります。これは遠い。残り時間を考えるととても無理なので今回は、少しだけ歩いてみることにしました。次回、しっかりと山登りの格好をして登城wしてみたいと思います。駐車場から城跡の敷地を見るとけっこうな勾配。これに弓隊とか鉄砲隊が待ち受けていたら、ゾッとします。城の入り口に立っただけでも戦意喪失です。



現在地が駐車場となります。
 
これは攻めづらい。しかし、本丸はここからさらに奥。


(その2へつづく)
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