公務員、早期退職(公務員 → 民間 → アーリーリタイア)

43歳で地方公務員を早期退職し、民間勤務1年を経てアーリリタイアし専業個人投資家に転身した瀬野航太のブログです。資産運用歴は兼業時代も含めて23年。投資手法は昔ながらのアセットアロケーションです。

福井→出雲ロードバイク旅(その19)

 ロードバイクで四国一周をしたいなぁ って考えそれを実現するためにまずは、福井→出雲区間のライドで予行練習をすることになりました。前回は2日目の夜のカロリーオーバなお食事のお話。今回は最終日の3日目のお話ですが、城下町と土木遺産のお話になります。

以前の書き込みはこちらからどうぞ↓
koumuin43.hatenablog.com



福井から走って出雲を目指す旅もいよいよ最終日になりました。天気にも恵まれました。本日は鳥取県から島根県に入り最終目的地は、出雲市駅前のホテルアルファワン出雲です。このホテルは、過去に2回宿泊しており勝手知ったる云々ですし併設の居酒屋もお気に入りなので朝から気分が上がります。倉吉駅前を出発したのが9:30頃。3日目になると疲労も蓄積してきて、朝が起きづらくなってきました。本当はもっと早朝に出発できるいいんですがね。

新しいSPDシューズも快適です。インソールだけ取替済み。
昨夜は疲労困憊で撮影できなかった倉吉駅前にて。
9:30頃になると通勤時間帯も終わり閑散とする倉吉駅前。


倉吉駅前を少し散策しました。なにやらこのあたりには羽衣伝説があるようで、その銅像が設置されていました。この羽衣伝説は、各地に伝えられており滋賀県には余呉湖周辺にも類似した伝説が伝えられています。




倉吉駅前を出発して数分、広い駐車場が見えたかと思ったらPCR検査場が見えました。昨晩は、一件目の居酒屋は貸し切り、二件目もそれなりに混んでいて感染予防策をしているとは言え、片方では人の集まるところを規制せず。ほんの数百メートル先では感染者の把握を行うという、私の目には矛盾したような行為が繰り広げられていました。今回の政府のコロナ対策の迷走ぶりを感じた一幕でした。


倉吉駅前でのPCR検査の風景

そんなことをぼやきながら、3日目の旅は進み北栄町に入ります。この北栄町、マンガの名探偵コナンの作者の出身地だそうで地元の商店街にはコナン関連のモノが多数ありました。鳥取県は、鳥取砂丘コナン空港もですが名探偵コナン関係が多いですね。こういうやり方、異論も多いとは思うのですがなんとかして特色を出そうという姿勢は評価できますし、なにもしない他の行政や組織は見習って欲しいと思いました。私は名探偵コナンは、あまり見たことがないので世界観には浸れませんでしたがマニアにはたまらないかもしれません。


  



北栄町をぬけると琴浦町に入ります。


琴浦町に入ったあたりで少しあたりが暗くなってきました。空を見上げると、厚い雲が! もしや、雨が降る? 慌ててスマホアプリで雲の動きを見ますが今のところは、大丈夫そうです。少し安心して先を急ぐことにしましたが、しばらく走るといきなり道が曲がります。

厚い雲が天候の悪化を示唆?
こういう道の作りにはなにかあります。


こういう道の作りは、古い町並み。特に城下町によくあります。敵兵がせめてきた場合、時間を稼いだり奥まで見通せなくするための工夫です。案の定、周りを見渡すと解説の看板がありました。こういうのは、観光客には大変ありがたいです。帰宅後、調べてみるとこのあたりは、八橋(やばせ)と呼ばれる地域で戦国時代からの水陸運の要衝で戦国大名尼子氏と毛利氏の争った地域のようです。実は、このあと少し走ったあとに、尼子氏と毛利氏の関係する石碑などを見つけるのですがそれはこの後のブログで詳しく触れます。ちなみにこの地域は、小泉八雲夫妻が旅行に訪れていた地域でそれを記載した看板も設置されていました。見た感じ、旧の街道沿いのような感じでしたのでひょっとすると、この道を江戸時代は参勤交代や旅人が歩んでいたのだと思います。いつの日か、こういう旧街道を使って参勤交代をなぞるような感じでお江戸へロードバイクで行ってみたいですね。


しばらく、走ると少しルートを間違えて海に出てしまいました。元のルートへ戻ろうかと思いましたが、少し先を見るとなにやら興味をそそられるようなモノを見つけました。最近、この手のモノを嗅ぎ分ける能力が高まったような気がしていますが気のせいだろうか? 冗談はさておき、自動車だと気付かず通り過ぎてもロードバイクだと色々と見つけることが出来ます。これも自転車旅行の醍醐味かもしれませんね。


なにやらドラマの一場面に出てきそうな雰囲気。


さっそく、近づいて確認すると・・・

でました! 土木遺産のプレート

土木遺産のプレートがある以上、これは素通りできません。現地には案内板もありましたので、それを参照するとこれは菊港と呼ばれる港で1657年頃に修築され当時、江戸で大火がありその際にここから材木を運び出したとのこと。見た感じ、近代化改修もされたようですが基本的には変わってないように感じました。重機もなかった時代、人力で石を運び海に捨ててそれを積み重ねて船着き場の形状にしたなんて当時の人達の我慢強さには、驚きますし併せて当時の土木技術は意外と水準が高かったのかも知れません。

 



鳥取県庁のHPに解説がありました
P-1 菊港/とりネット/鳥取県公式サイト



(その20へ続く)
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