本記事は、2022年10月に挑戦した「四国一周1000kmロードバイクの旅」の記事です。記事のボリュームが膨大になることが予測されるため、下記にポータルページをご用意しました。初めての方は、下記のポータルページから読まれることを強く推奨いたします。
松山空港を離れて一路、東へ進みます。このあと、瀬戸大橋を渡り本州へ戻り帰宅の予定ですがその前に別子銅山記念館へ立ち寄ります。別子という言葉は、株式投資をしている人にとってはおなじみの人も多いと思うのですが住友金属鉱山株式会社の呼称の一つです。なぜ、別子と呼ばれるのか? それは住友財閥発展の基礎を築いたのがこの別子銅山だからです。高速道路を下りて少し走ったところで別子銅山記念館へ到着です。案内看板をみてビックリしたのがなんと
入場料無料
大抵、工場などには神様が奉られている場合が多いのですがこの別子銅山に関しては、大山祇神社が奉られていました。私も初めて聞く神様の名前なので調べると、愛媛県今治市大三島町宮浦にある神社で山の神・海の神・戦いの神とのことでした。しまなみ街道サイクリングの時に参拝できそうな気もしますが、サイジャーで参拝するのは少々気が引けます。それはさておき、由緒の看板には、1691年(徳川綱吉の時代)別子銅山開業の際から奉られているようでした。御分霊なのでそれほど大きな神社ではありませんが、清潔な良い状態で奉られていました。
神社の境内には、鉱山で使われていたら働く車も展示されていました。普通の機関車などに比べると小型なのは、坑道という狭い空間で使用するためだと思いますが、歴史を感じる物でした。特に驚いたのは、鉱山専用鉄道用電気機関車(ED-104号)で、部品を日立製作所から購入して自分達で組み立てたとのこと。日立製作所は、モーターや鉄道車両で有名ですが住友金属鉱山は自分達で組み立てたってことは、それに関する技術力も持っていたってことですね。
他には境内には、石碑なども並んでいました。一つは煙害問題との戦いで処理量が増えることで大きな問題となった亜硫酸ガスへの対応です。精錬所の移転から始まり、煙突の建設、処理技術などの採用で克服できたそうですが、碑文から長期にわたる戦いだったことが見て取れます。そして、実際の銅鉱石も展示されています。私達が日頃見る銅は10円玉が身近ですが実際の銅鉱石は、それには似ても似つかぬ感じですがこれが精錬されると銅になるんですね。製錬工程にも興味が沸いてきました。
(【番外編】day11 別子銅山記念館その2、そして帰路へ続く)
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