先日、ロードバイクの練習で福井県敦賀市に出向きました。目的地は、高速増殖炉もんじゅ*1 です。このもんじゅですが夢の原子炉と言われましたが、技術的に困難なことが多い上に運営母体の不祥事もあり思ったような成果も上げられず、廃炉となりました。
簡単に言うと、税金の無駄遣い施設です。技術的に困難なので、お金のロスは多少は仕方ないです。ただ、運営母体の不祥事も廃炉の遠因になったのも否定できず、責任者はそれなりの責任を果たすべきだったと思います。最終的には文部科学省が責任を取るべき。
さて、ここで少々考えてみると日本という国は責任者が責任を果たさない国です。この責任者が責任を取らない風習っていつからあるんだろう?と考えると、私は大東亜戦争の戦争責任まで遡ると思っています。具体的には昭和天皇の戦争責任。
まず、断っておきますが私は昭和天皇には戦争責任はなかったと思っています。無罪です。ただ、それを確定するプロセスがなかったことが今に続いていると思っています。
色々と調べるとどうやら御前会議などでも天皇には発言する機会は実質的にはなく、黙って座っているような状態だったようです。つまり、その威光を利用される存在だったわけです。実質的に天皇は無力だったわけです。詐欺に名前を使われた被害者のようなモノですね。
ただ、間違いなく書類上は当時の日本の対外的な責任者だったのは間違いないです。となると、責任者としては責任を果たす必要がありました。本人にもその意思はあったようですが、政治的な理由でウヤムヤにされてしまいました。
きちんと何らかの形で公の場所でやりとりをして「昭和天皇は無罪」となったほうがご本人もどんなに幸せだったかと思います。結果的に責任者が責任を取らない風習に加え、昭和天皇に対しての批判がいつまでもくすぶるという最悪の事態になりました。昭和天皇には、たいへんなご心労をかける結果にもなりました。
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で、話は戻りますが・・。
それ以降、日本という国は責任者が責任を果たさない国になったように私は感じています。なにかあれば、現場の責任にして最高責任者は見かけ上の謝罪をして終えるそんな国です。
昭和天皇は「自分はどうなっても良いから、国民は・・」とおっしゃったそうです。責任者としてのお覚悟をしっかりお持ちでした。今の責任者が責任を取らない日本、昭和天皇は天国でどのように感じてらっしゃるのでしょうか?