公務員、早期退職(公務員 → 民間 → アーリーリタイア)

43歳で地方公務員を早期退職し、民間勤務1年を経てアーリリタイアし専業個人投資家に転身した瀬野航太のブログです。資産運用歴は兼業時代も含めて23年。投資手法は昔ながらのアセットアロケーションです。

2022年を振り返る(投資、日常生活編)

 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。ってこの記事を書いているのは2022年12月24日だったりする。それはさておき・・。自身の記憶の整理の意味で2022年を振り返ってみることにします。まずは、今年は自分にとっては浮揚できた1年でした。


1~3月のブログの更新はとても少なかったですが、少々メンタル的にやられてました。たしかに投資等で財をなすことは出来ました。おそらく、普通に暮らしていくなら充分な資金もありますしむしろ、今までの投資実績を考えれば大幅な財産の目減りは考えにくいです。ただ、これでいいのか?と言う気持ちがずっとこの期間は私を襲っていました。朝目を覚ますと、


「この消化試合のような人生を送る意味があるのか?」
「ここから資格などを取って、人生再挑戦しても若手とまともにやりあうことになる。負け戦は目に見ている。」
「賃金は落ちても、どこかパートにでもでて社会参加するか?  そこで若者に指示を仰ぎながら過ごすのか?」



こんな思考が毎日、グルグル回ってました。もう、こんな状態なら自分で人生を終わらすのも・・・
そうだ!なにか大きいことをやらかしてから終わらせよう。私の人生を無茶苦茶にした、因縁根深い朝日新聞社に最後っ屁を食らわして、それで私も人生を終わらせよう。


なんてことも考えていました。ネットを検索すると本当に色々な、方法も載っていますし実行可能なものも見受けられました。ただ、それをやってしまうと無関係な朝日新聞社の社員も巻き込むんですよね。朝日新聞社の内部にも国を憂いて、まっとうな報道をしようとする記者も残っているかもしれません。1987年5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局の事件(赤報隊事件)などは、本当に最たる例で心が痛みます。と考えるとそんなことは天地がひっくり返ってもやるべきではありません。そんな、ナイフのエッジの上を歩いているような数ヶ月でした。



そんな状態で転機が訪れたのは、4月頃でしょうか? 一つのお知らせが私の元に訪れます。長らくコロナの影響で中止となっていた自転車ロードレースが再開されるお知らせです。公務員時代は、このレースの開催日は、水防訓練が開催されていて参加が出来ませんでした。でも、今の私なら参加できます。練習もたっぷり出来ます。だったら、参加するしかないです。資産運用の年度末集計もその頃に終わり年+4.25%のリターンで終えることが出来ました。前年度の17.93%には及びませんでしたが公務員時代の年収に照らしても遜色ない金額の手取りです。



「投資を仕事としてキチンとやろう! 不労所得だとか言うヤツはほおって置こう。」
「未だに会社に属しているヤツと私の世界は、別世界だから比較するのが間違いだったんだ。」

「そして、今まで出来なかったことに挑戦しよう。ロードバイクのレースなんてもってこいじゃないか?」

「自分で自分を哀れんでいるだけだ。世の基準から見れば恵まれているじゃないか。沈み込んでいる場合じゃないぞ!



ロードレースという心躍るイベントの復活をきっかけに心の再構築が行われたな感じです。そして、1~3月の間思い悩んでいたことも自分を客観的に見ることで、自分で自分を哀れんでいることにも気付いたわけです。世間的にはどうみても勝ち組なのに・・・。ロードレース参加を決めたら、あとは練習をするだけです。1週間辺りの練習量が過去最高の300kmに到達したのもこの頃でした。ロードバイクって本当に良いんですよ。一人で練習中は、いろいろな事を考えられますしアマチュアでやっているレベルであれば練習しただけ、強くなりますから。そして、初めてのロードレースのデビュー戦となった5月。成績はイマイチでしたが自己最高の出来だったと思います。


この頃、投資環境にも変化が出始めました。まずは、投資用PCのディスプレイは3枚で運用していましたがグラフィックボードへの負担を考えて、グラフィックボードを1枚増設しSSDを交換したり個別株の分析環境を向上させました。具体的には楽天証券のMarketSPEED2からRSSでデーター提供を受けて、それをエクセル上に反映させて個別銘柄の投資判断のスピード化を図ったのです。メンタルダウンで低迷していた色々なことが一気に動き始めました。4~7月は飛行機で言うといよいよ滑走し始めたという時期で、ロードバイクに乗っているか資産運用の仕事をしているかという時期でしたね。あとは管理している不動産の草刈りにも追われていました。


そんな夏の終わり頃の9月、父親が体調不良。高齢なのでちょっと覚悟はしていましたが幸いにも盛り返しましたが足腰が弱くなり、ある程度の介護が必要になりました。今までは「再就職しなくちゃ!」っていう強迫観念のようなものもあったのですが、物理的に再就職が出来なくなりました。この頃から「投資を仕事としてキチンとやろう!」という気持ちはもっと強いモノになりました。アセットアロケーション比率の見直しのレポートの精度もこの頃から向上し始めて、今のスタイルが確立されたように思います。父親の体調が戻ったのを確認して、福井~出雲ロードバイク旅に出かけたのもこの頃です。


その頃に執筆したアセットアロケーション見直しのレポート
koumuin43.hatenablog.com




季節は秋になり10月ロードバイク熱も冷めてない状態で今度は、四国一周1000kmロードバイクの旅に出かけました。10日間掛けて四国を一周しました。冒険投資家ジム・ロジャーズ*1の足下にも及びませんが、この旅ではいろいろな事を考えたし、いくつかの出会いもありました。30代の若者と話した10分間は、自分が恵まれた存在であることを再認識したし、年初に人生を消化試合と考えた私の考えは、「消化試合にするか?しないかは自分次第」と考えを改めるきっかけになりました。旅を終えた翌日には、twitterで仲良くさせてもらっている四国在住のフォロワーさんと面談。オフラインでしか話せない話もたっぷりし、同世代であることもあって悩み事も少しお話ししました。この四国一周1000kmロードバイクの旅は、数年分のボリュームの有った旅になりました。さらに長い旅の途中での投資という仕事のやり方についても、色々と試みができました。結論的には14日間程度であれば、私のような中長期投資ではほとんど問題にならないし何か有ればネットカフェに入り、そこからほとんどの対応が可能であることが分かりました。情報収集も日経新聞テレコンスマホで読めますし、良い時代になりました。


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そして、11月に入った頃。大事件が起きます。ロードバイクの耐久レースで大事故。全治3週間のケガを負います。色々と上り調子だった私にとっては、まさか!という坂でしたがケガも順調に治り、ロードバイクの修理も進んでいます。資産運用については、12月の日銀ショックで手酷くやられていますが致命傷にはなっておらず現金比率も27.9%と余裕もあり、予備資金もたっぷり用意してあるので買い出動は可能な状態です。まだまだ、戦えるよ!って感じの年末です。そして、新しい取り組みとしてテクニカルアナリスト資格の取得に挑戦することになりました。過去20年、ファンダメンタルズ分析とバリュー銘柄を中心に投資をしてきましたが、買うタイミング、売るタイミングは素人判断のテクニカルに頼っていたのですが、うまく行かないことが多く調べてみるとウソ覚えとか適切な分析方法を選択していなかったりしていました。そこで、テクニカルアナリスト資格の取得の勉強をすることで先ずは、一般的とされている分析方法をしっかり学ぶことにしたのです。12月から学習が開始され、何度かの課題提出の後、7月に試験が実施される予定です。さて、こうやって1年を振り返ってみると、年初は本当に悩む時期でしたがちょっとしたきっかけで浮揚し、そこから数段飛ばしで階段を駆け上るような1年だったと思います。ロードバイクと資産運用が両翼で私を浮揚させました。ハッキリ言って幸運でした。



2023年はどんな年になるんだろう?


増税でわが家の場合も色々悪影響が出てきますが、工夫をして乗り切る1年になりそうですし、自民党には投票しない1年になりそうです。私は、2022年秋から長年の自民党支持から日本維新の会の支持になりました。改革を前面にこれだけ押し出して質実剛健な政党といえるのは、日本維新の会だけになりました。私個人の活動としては、2022年に輪を掛けてロードバイクを生活の中心にする1年になりそうです。九州一周のロードバイクの旅もしたいですし、レースもたくさん出る予定です。その他、コロナも落ち着いてきたので(感染者は増えているが割合的な死者は減っている)、車を使っての旅もしたいです。投資に関しては、専業になってからのスタイルが確立された1年だった2022年に加えて2023年は、テクニカルアナリスト資格を取得し投資に本格的に生かしていきたいです。2023年は2022年の巡航速度に加えてより加速で走り抜けたいと思います。








*1:アメリカ合衆国の投資家でクォンタム・ファンドの共同設立者